ビリヤード雑誌「ピカソ」 その3

B!

こんにちは、スタッフ野田です。
ビリヤード雑誌「ピカソ」第3号のご紹介です。

特徴のあるイラストの表紙ですが、どなたが描いていたんでしょうか。

2-3ページです。

 

 

 

世界最速のビリヤード台だそうです。さすがアメリカ、やることが破天荒です。

4-5頁


ピカソ・レディのコーナーです。
これはもしかして編集長の趣味のページなんでしょうか?

 

6-7ページ

ビリヤード店舗の紹介です。
渋谷の「Q」が紹介されています。
スタッフ野田は仕事で都内に勤務していたころ、ここを練習場にしていたので思い出がいっぱいあります。
当初は5階の1フロアだけでしたが、ブームが来て最盛期には6、7、8階の3フロアで総台数100台(!)というマンモスビリヤード場になりました。
そして受付前の華台ではトップクラスのプレーヤーたちによる熱い戦いが毎晩のように繰り広げられていました。
その時の常連メンバーの多くが後にプロとして活躍することになります。
現在は店名も「Q」から「CUE」に変わり6、7階の2フロアだけになっています。

ビリヤードテーブルは「スーパーガリオン」、そしてカウンターの上に置かれたダイヤル式の公衆電話が昭和を感じさせますね。

 

8-9ページ

都道府県対抗戦の紹介ページです。
プロになった人、今なおアマチュアで活躍している人、そして故人となってしまった人も。

 

10-11ページ

早稲田大学のビリヤードクラブと、TPA、そして桜本プロが紹介されています。
TPAは勿論健在ですが、早稲田大学のクラブはどうなんでしょうか。

 

12-13ページ

ビリヤードマップの大阪編です。
スタッフ野田は昔の大阪のことはほとんど分かりません。
日勝亭さんの名前がありますが、当時はビリヤード場を経営されていたんですね。

 

14ページ

奥村プロのビリヤード教室のコーナーです。
当時のスタッフ野田が最も楽しみにしていた記事です。

奥村プロは長年の功績により、先日BCJのホールオブフェーム(殿堂入り)に選ばれました。

今回はストロークとレールブリッジについての解説です。
これを見ながら自宅で素振りの練習をしていたのを思い出します。

 

15ページ

ナインボールのクイズです。
狭い誌面に掲載するために球と台の大きさの比率がデタラメで配置がわかりにくいですが、要するに次の的球へのフリをどうすればよいかという問題です。
3問目はちょっと難しいかも。

 

本からビリヤードの知識を得ることも重要です。

16ページ

無とんちゃく先生のエッセイです。
書いた方がどなたなのかは存じませんが、「何故ビリヤードは面白いか?」という本質に迫る大変興味深い内容です。
「難しいから克服したくなる」というのはスポーツに限らず多くの競技に共通するものではないでしょうか。
的球を入れる能力が劣っていても、知識と経験がまされば互角以上に競い合えるのがビリヤードの面白いところだとスタッフ野田は思っています。

 

17ページ


台北オープンと国内トーナメントの記事です。
台北オープンは14-1とナインボールの2種目での総合順位を競うものとなっています。
総合優勝した奥村プロはJPBFに移籍した現在でもオープン戦などで往年のキューさばきを見せてくれています。
ロン・オープンで優勝した小杉純一プロを懐かしいと思われる方も多いのではないでしょうか。

ここでは新鋭プロとして紹介されていますね。

スタッフ野田は、目の前でシュレーガーキューを使ってすさまじいショットを繰り出す小杉プロを見て感動した覚えがあります。
現在はインドネシアでビリヤードの普及活動を行なっているそうです。

 

18-19ページ

読者からのお便り紹介コーナーです。
第3号ともなるとたくさんの反応があるようですね。

 

20-21ページ

ピカソのバラエティコーナーです。
ここに雑誌製作エネルギーの多くが注がれているのではないかと思うのはスタッフ野田だけでしょうか。

 

22-23ページ

読者プレゼントコーナーです。
編集部からのお詫びが掲載されていますが、何があったんでしょう?

 

裏表紙

第3号は第2号よりもさらにページ数が増えています。
広告も記事も増え続ける予感がしますね。

近日中に第4号をご紹介します。

 

今はビリヤード雑誌といえば「CUE'S」ですね。
過去の記事にも読むとためになるものがたくさんあります。

 

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